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脚本・演出家 山田能龍インタビュー 山田ジャパン1月公演「優秀病棟 素通り科」「観劇された方が「生きよう」という気持ちになってくれたら嬉しい」

INTERVIEW

2021年1月20日(水)から27日(水)まで本多劇場にて、山田ジャパン1月公演「優秀病棟 素通り科」が上演されます。

2008年に旗揚げした山田ジャパンは、脚本家・演出家として活躍する山田能龍さんが全作品を手掛け、最新作となる今作では、ふぉ~ゆ~の福田悠太さんを主演に迎え、山田作品には欠かせない、森一弥さんや与座よしあきさん、そして山田ジャパン劇団員であるいとうあさこさんも出演します。

今回お話をうかがったのは、主宰として山田ジャパンの全作品の作・演出を手掛けるほか、近年ではNetflix配信「全裸監督」の脚本を手掛けるなど、映像作品の執筆やライブツアーやPVの演出、ラジオ番組の構成など、幅広い分野で活躍されている、脚本家・演出家の「山田能龍(やまだ・よしたつ)」さん。今作のタイトルに込められた意味や映像と舞台で脚本を執筆する際の違いなど、たっぷり語っていただきました。

「優秀病棟 素通り科」というタイトルに込められた意味

――まずは、「優秀病棟 素通り科」というタイトルが印象的ですが、どうやって物語を着想されたのかおうかがいできますでしょうか。

「優秀病棟 素通り科」というタイトルですが、元々は別の話を考えていたんです。舞台ってやっぱり一年以上前から動くものですから。ただ、だんだんとコロナが拡大して僕らの生活に入り込んできて。その影響の余波といわんばかりに自死のニュースがたくさん入ってきたと思うんですけど。そっちを無視できなくなったので元々やろうとしてた話を変えたんですね。

それからコロナの影響で当然、「これがダメ、あれがダメ」ということが増えてきて。本来人が生きていくコツである、人と接触することを取り上げられていく感覚があった。元々加速していた世の中の不寛容なムードも相まって「自分はこういうスタンスで存在しててもいいよね」っていう面積が減ってきているように感じたんですよね。

「優秀病棟 素通り科」というタイトルに関しては、向き合えば向き合うだけ損をするというか、「生き残るために必死に無視する」みたいな。“無視”という単語自体には、ネガティブな響きがあると思うんですが、もうちょっとポジティブというか、「一生懸命汗をかいて無視する」みたいなイメージが湧いてきて。

ちょっと遠回りですが、それってさっきの自死と関係があるんじゃないかって。「何かと真剣に向き合った順から、自死という判断に向かっている」んじゃないかと思ったんです。それを確かめる術は当然ないのですけども…でも、「何で自死を選んだんだろう」とどうにか聞きたい衝動に駆られてしまい、自分なりに像を掴みたいと思ったのが一つですね。自死を選ばないようにするには、何かと向き合わないように一生懸命“無視”しなければいけない、そうすることが優秀である、それが生き残るためのメソッドである……という思考の順番で。大袈裟に言うと、「無視すること、素通りすることが優秀」である病気に、この国と現代社会はかかってるんじゃないかっていう。

こういうことを言っておきながら僕らの作品はコメディなんですけど。でも、その根幹には、「生き残るためには無視しないとダメだ、それが優秀な生き方である」という着想があり、そのバックボーンにある“コロナ”という感じですかね。それで、「優秀病棟 素通り科」というタイトルをつけました。

映像と舞台での脚本を執筆する際の大きな違い

――山田さんは、Netflixオリジナルシリーズ『全裸監督』の脚本家も務められていて、シーズン2も控えていますが、一方で山田ジャパンの活動を中心に舞台についても長年携わってらっしゃいます。脚本を書くにあたって映像と舞台で共通するものと、違いなどがあれば聞かせてください。

まず大きな性格の違いがあると思っていて。僕はいつも言うんですけど、演技が「丸い球」だとして、同じ球技でも野球とサッカーで全然ルールが違うじゃないですか。それくらい舞台表現と映像作品は違うと思っています。でも、そこに演技とか人間を描くこととか、そういう大きなものが丸い球としてあるという感覚でしょうか。扱い方はいろいろ違いますが、球体を触る手触りは同じであるというか。もう少し具体的に言うとすれば、舞台と映像作品をやるときの一番大きな違いは、脚本を書くということにおいて、“個人種目”であるか、“団体競技”であるかということが大きいと思います。

『全裸監督』とかは特に、ナショナルチームといって差し支えないような人たちが集まって、いわゆるチームライティングといって一年半くらいの期間、毎週集まって作品のことに対して複数で協議をしたんです。その中で一応僕が中心の一人ではあったと思うんですけど、みんなで意見、アイデアを出していくっていうのが特にNetflixでは顕著でした。程度の差はあれども、プロデューサー、監督、それぞれと一緒になってつくっていくという意味では、テレビドラマもそれに近いものがあると思います。

僕の師匠だと思っている脚本家で尾崎将也さんという方がいらっしゃるんですけど、その方が言ってたことが一番しっくり来たのでそのまま受け売りで喋りますね(笑)。ドラマ脚本は、みんなで「鍋」をつくるような感じで、まず“何鍋”なのかはプロデューサーが決める。で、そのスープの味は脚本家が決めるっていう。脚本家はスープの味を決めていいけど、具材とかアイデアはみんなで持ち寄るので、全部を自分でつくるものじゃない。その最たるものが『全裸監督』だったと思います。

対して舞台の戯曲は、自分がWordを立ち上げて書いた文字が、何もろ過されることなく、そのまま客席にダイレクトに届く。その責任も手柄も、脚本においては自分一人が背負うものである。そこに大きな違いがあると思いますね。

テンポ感とか、面白くする方法については、もちろん少しは違いますけど、自分の中ではそんなに感覚的に差はないです。具体的に言うと、映像脚本は一つのシーンを長くやらない、演劇は会話で繋ぐとか、そういったことはありますけど。映像の場合はどこにでも飛べるし、究極CGを使えば爆破したりすることもできたりしますから。ただ、演劇の場合はそこに存在しているので爆破はできない、その違いですかね。面白くするためのメソッドみたいなものは自分の体の中にあって、感覚としてはそんなに変わらないというのが正直なところです。

稽古で変わった福田さんの印象「やっぱりジャニーズっぽい」

――今回は、ふぉ~ゆ~の福田悠太さんを主演に迎えられていますが、福田さんの印象について聞かせていただけますか。当初のコメントでは「ジャニーズらしからぬ人」と仰っていましたが、現在は稽古などを重ねて印象が変わりましたか?

一つ印象が変わった部分があって、彼がメディアに出ているときや舞台を拝見したときの印象は、根っから陽の人間という印象だったのが、関わっていくと意外とそうでもない一面もちゃんと持ってるなと(笑)。ただ、ある意味「ジャニーズらしからぬ」というのが、やっぱりふぉ~ゆ~というグループの性質上背負っているところだと思うんですけど。稽古を重ねていて、「やっぱりジャニーズっぽいな」と思うことが一つあって、それはもう身も蓋もなく「ハイスペックである」ということです。

つまり、ルックスもいいし能力が高い。小さいときから選りすぐりの能力の高い人たちがしのぎを削っている中で、今まで活動を継続しているっていう時点で、やっぱりセリフ覚えも動きも何したってスペックが高いっていうのは感じますし、そこはジャニーズらしさだなと思いますね。だけど、人間的にはすごく懐っこいし、パッと見たら違和感なく劇団に馴染んでいるので、そこにはジャニーズ感は全くなかったりするんですけどね。

――今作は、福田さんといとうあさこさんがメインの役柄を演じられていますが、お二人の演技の掛け合いはいかがですか?

もちろん相性はいいんですけど、流派がピッタリ合うというよりは、二人とも全く違うメソッドなんですよね。異文化交流とか、異種格闘技戦みたいな。ボクシングと相撲だけど、違う種目でもガチンコでやりあうとこんなに盛り上がるんだっていう感じでしょうかね。かなり面白いことが起きているなと思います。

“最後の場面”に込められた思いとは

――最後の場面でマジックリアリズム的というか、不安の種みたいなものを探していくような現実から離れたようなシーンが出てくると思うんですが、そこのシーンを入れた思いについて聞かせていただけますでしょうか。

今まさに稽古場で大転換のところをつくってるんです。普通にこの台本を突き詰めていったら、きっともう少しロジカルに「何も見つからなかった」ということを表現していくと思うんですね。でも、演劇自体が実演なので、目の前で大きな構造物が動いて、そこに照明も絡んで、役者が肉体から出す圧力みたいなものも出ていく。その現象の方が、脚本のロジックより上位であるという考えが僕にあったので、そういう思いでシーンをつくっています。

だから、セリフで説明していくよりも、目の前に起きる現象で飛ばした方がいいという思いで、最後のシーンを入れたんです。目の前にあるその装置があるロジックを持って進んでいる、タイムラインが現在軸から過去や回想という風に、中盤ぐらいまでセパレートで分かれていった世界が途中から、コメディがトリガーとなり、回想と現在軸がシームスレスに行き来して、回想側の人物の意思で現在軸にさえ入り込んでくる。

そういう積みがある中で、最後にそれがぐちゃぐちゃになるという表現がしやすいというか。多分、映像だったらフラッシュを使うと思うんですけど。実際に法則を持って動いてきた装置を、あえてぐちゃぐちゃにすることで、そこがカオティックであるということを表現できると思っています。

演劇って、目の前にあってそこに役者がいて、というもの

――今回コロナをきっかけに、演劇でも配信という形態が増えてきたと思うんですが、配信についての表現の工夫みたいなものがあればお聞かせいただけますか。

めちゃくちゃ正直に言うと、こういったコロナ禍になって、皆さんいろいろ新しい形を模索されたじゃないですか。「劇団ノーミーツ」なども素晴らしいと思いますし。でも僕、どうしても足踏みをしてしまって。やっぱり演劇って、目の前にあってそこに役者がいて、ということが前提だと思っているので。僕の頭が固いのかもしれないんですけど、なかなか踏み出せなくて。正直に言うと、やっぱり実際劇場で観ていただくのが演劇なのかなとは思います。ただ、やっぱりこのご時世で観られないっていうことよりは、なるべく観られるように、とは思うので。

コロナ禍のこの一年で思ったのは、コロナ禍だからこそ生まれるものがあると、皆さんいろいろな表現にチャレンジされています。そのことに対しては、リスペクトの気持ちしかないんですけど。一方で、映画でも演劇でもそうだと思うんですが、ここまで長きに渡って研鑽されてきた文化が、そう易々とアップデートはされないんじゃないかという思いもあって。だから、別の表現が生まれることは祝福されることだと思うんですけど、演劇という表現がちがう表現に変化していくこととは、また少し違うのかなと思いますね。

12年越しの念願の本多劇場での上演

――今回、念願の本多劇場での上演とのことですが、改めて今作を上演する意気込みをうかがえますか。

本多劇場で上演できることは、めちゃくちゃ嬉しいです。僕らは小劇場 楽園で旗揚げをしてるんです。本多劇場の隣のキャパ80人くらいの小さな劇場で、本多グループの一番小箱で旗揚げしてるんですよね。

そのときも、すでに結構いい歳だったと思うんですけど、僕といとうあさこと、今は僕の奥さんになりましたけど、羽鳥由記っていううちの劇団の女優と旗揚げして。今残っているのがその3人ですけど、そのときにすごい月並みですけど、「いつか隣に行きたいね」って話していて、12年も経ってしまいました(笑)。

たくさんの人の人生を狂わせ、たくさんの人が辞め、いろんな紆余曲折がありましたけど……とにかくやれることになったということで、時間はかかったけど、辞めていった人たちに対しても誇れるような公演にしたいなと思っています。一度、小屋の下見に行ったんですけど、ステージに立ったときに年甲斐もなく感動して。せっかくやれることになったので、自分たちらしくやりたいなと思っています。

一生懸命やらないと悪ふざけになってしまう

――テーマについては先ほどお伺いしましたが、一方で笑えるコメディでもあるということで、コメディとストーリーとのバランスで工夫されたことなどがあれば聞かせてください。

今回、“自死とコメディ”という組み合わせになっています。僕らはふざけることを一番大切にしている劇団ですけど、一生懸命やらないとそれこそ、ふざけるの前に“悪”という文字が付いてしまうと思うんです。軽率な気持ちでやってしまうと、とたんに“悪ふざけ”になってしまう。非常にセンシティブというか、もしかしたら今僕が大丈夫だと思って信念を持ってるこのバランスを出しても、怒る人がいないとは限らないなとは思っています。

ただ、そこには覚悟があって、コメディとストーリーのバランスというよりは、(いとう)あさこの役がそれを笑い飛ばしているんですよね。“笑う”というある種の不謹慎さが、最後のシーンというか。本当に僕にそういう気持ちがあるものですから。そのバランスに苦心したし、そのバランス自体が作品の根幹なので。苦労したというよりは、それを一番に考えていった感じですね。なので、ストーリーとコメディのブレンドが難しいということはなかったと思います。

――最後に改めて作品を楽しみにしている皆様にメッセージをお願いできますでしょうか。

こういう時代に上演をするということ自体が結構大変なことだと思うんですけど、今作は、自死を扱うもので、生きている方がいいという風に締めくくる話なんですね。なので、観劇された方が「生きよう」という気持ちになってくれたら一番嬉しいですけど、もう少し謙虚に言うと、真下を向いていたとしたら、もうちょっと斜めにルックアップできるというか。真下を向いていて頭の重心でぐっと前に倒れちゃったとしたら、体のバランスの拮抗が取れるぐらいまで、斜め下ぐらいを向けたら一旦ぐっと倒れなくて済むという感じになってもらえたら嬉しいなと思います。

この先、自死を選ぶ方が増えてしまう可能性もあると思うんです。ただ、今作はそれを一つ先送りにできるくらいのパワーを持っている作品だと思うので。大いに笑っていただいた上で、「生きよう」という気持ちになってもらえたら嬉しいなと思います。誠実につくっておりますので、ぜひお楽しみになさってください。

取材・文:桑原梨沙(THEATER GIRL編集部)

公演概要

山田ジャパン1月公演「優秀病棟 素通り科」

会場:本多劇場
日程:2021年1月20日(水)~27日(水)

脚本・演出:山田能龍

出演:
福田悠太(ふぉ~ゆ~) 、森一弥、与座よしあき、いとうあさこ
羽鳥由記、 横内亜弓、 宮田幸輝、 浜名一聖、 長江愛実
猪山菜摘、 金子美紗、 西雲アキラ、 菅野姉妹、 高島麻利央
岡本滉祐、 保、 ハヤトミルクティーパーティー、 布施勇弥、 宗藤将矢 ほか

公式サイト:http://yamadajapan.com/
公式twitter:@yamadajapan2008

ライブ配信詳細

対象公演:1月27日(水) 16:00

ライブ配信チケット発売中!
配信チケット料金:4,000円(税込)

購入サイトURL:https://live.paskip.jp/

THEATER GIRL編集部

観劇女子のためのスタイルマガジン「THEATER GIRL(シアターガール)」編集部。観劇好きの女子向けコンテンツや情報をお届けします。

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