大和田美帆インタビュー『日本一 わきまえない女優 「スマコ」 ~それでも彼女は舞台に立つ~』「これをやってのけた時に「大きな転機でした」と言えるぐらいのプロジェクトになる」
――改めて松井須磨子は波乱万丈の人生ですが、どの様に演じて行くかプランはありますか?
松井須磨子という人は2回離婚をしていて、女でも負けずに女優をやって、整形までしてという……心のままに生きた人ですよね。そして強かったし、何にも屈しなかった。己を貫いた人だけど、その裏にどれ程の孤独があったのだろうというのは感じるので、強いだけの女にはしたくないと思っています。
人の感情って、一つではないんだと感じる日々で、人前で笑っていても、本当は笑っていなかったり。松井須磨子の事を調べれば調べる程、彼女のその揺るがない真っ直ぐさが、どれだけ人に理解されたかっていうと、ほとんどされなかったんじゃないかって。変わった人だという言い方をされて、家族にも反対されて、たぶん彼女の事を嫌った人もきっと沢山いた中で、島村抱月という彼女の良き理解者がいて、唯一無二と感じたものがあったと思うし、それを失った時の彼女の喪失感、虚無感というものは、丁寧に表現したいなと思います。
――島村抱月が亡くなっても、舞台に出演したという須磨子の心情は、どの様に捉えていますか?
私も4月に母を亡くして、5月には舞台に立ちたいと思っていたので、もうそれ無しには生きられない宿命というか。何があろうと、自分の感情を表現する場がもうそこにしかないんじゃないのではと感じています。
――それはそういったご自身の感覚があってのものだったということでしょうか?
そうですね。私は自分以外の人生を演じたいし、逃避の意味でも芝居が好きなんですよね。実は幼少期から、演じる事がとても好きだったんです。留守番をしている時に、寂しくて辛かったから、鏡の中の自分に話しかけ始めて……。今思うと怖いですよね。本当に変わった子で、この職業についていなかったらちょっとマズかったなと思います(笑)。
自分と誰かがいる設定で、家の中で遊ぶというか、芝居が逃避だったんですよね。須磨子も自分の人生に満足していなかったと書いてあって。長野県の楽しみも何も無い所に生まれて、結婚相手に演劇の事を教えてもらって、「あぁ! これだ」と思ったみたいで。
そういった意味で、役者の中にもいろんな人がいるけど、私は逃避という意味で演劇をやったところもあったので、須磨子もそうだったのかなって。いつも似ているところとか、共感できることを探して役作りをしていたみたいで。役作りって言葉は、あまり好きではないんですけど、役を理解していくという意味では共感出来る部分も多いですね。
――逃避だったものが、舞台に立って、観客から拍手や歓声をもらって、初めて自分の存在意義が感じられたという事でしょうか?
本当にそうですね。だから、彼女もそうかもしれないけど、お芝居をしている時の方が、していない時よりも生きてるって実感出来るんですよね。それは、なんでなのかわからないけど 「あぁ、こんな世界があるんだ」って。それで、その私の逃避のお芝居を、「素晴らしいね」って言ってくれる人もいて。誰かの人生を観ることで、きっとその人も逃避して、新しい人生をまた明日から歩んで行く。私には、演劇がそういうツールにもなっているんです。
だから自分に満足している人も、違う自分を感じて新たな自分に気づけたりもすると思いますし。今回は松井須磨子という役に出会えたことで、私だけじゃないんだって思えたりして。特に、彼女は実在していた人物で、最期は自死でしたけど。でも、私はどう死んだかより、どう生きたかだと思っているので。そういった意味でも須磨子の生き方というのは、現代のコロナ渦で混乱している人達に、何か光を与えられるんじゃないのではと思っています。