末原拓馬インタビュー 劇団おぼんろ 第20回本公演『パダラマ・ジュグラマ』「世界に通用する演劇を作る」(後編)
――コロナ禍に作品を作るにあたって、以前と考え方に変化があった部分はありましたか?
これまでも常にその時その時の世界観を感じて作ってきました。その前に一度、震災の時に考えが変わったんです。僕自身、もともと悲劇作家寄りの気質があって、辛いことに目が行きがちで、「バッドエンドはバッドエンドでいいや」という考え方でした。
ただ、震災の時にみんなが悲しんでいるということを受けて、テーマは僕の血肉だから変えられないけど、絶望の中から希望を見出す方法を探すべきだと思ったのです。
社会問題に目を向けるようなことを担わないといけないと感じてコロナ禍になる直前に割とメッセージ性の強いものを作ろうと思いました。その公演は、結局コロナの影響で中止になってしまったのですが、そのときに思ったのは、やっぱり恐怖に怯えて絶望している人たちを、今すぐ笑わせることが僕たちの仕事なんだと思いました。そこからは明るい作品が多くなったと思います。
そこからまたコロナというものが時間を経て、今 我々のところにあり、ここからもう一つ先の変わってしまった世界、変わるということが判明してしまった世界に対してどうアプローチをするのかということを考えて、作品に挑んでいるところです。それはもう楽しければいいというものでもないし、悲しければいいというものでもない。楽しくて悲しい世界で、どう生きていくのか、哲学を押し付けるというよりは、考えていかなきゃねということを言うタイミングかなと思っています。
絆を築くことに重きを持っている
――先ほど配信の話もありましたが、配信をする際に、舞台上での演出と異なる点は何かあったりしますか?
以前、数台のカメラを用意して観客は好きなタイミングで、好きな場面を見られて、話が別々に交錯するものを作ろうとしたんです。だけど、それもかなり準備が整ったタイミングで緊急事態宣言が出てしまって、その時はキャスト同士が集まるのも駄目だったので、結局、ノーアングルの音だけの配信になりました。
その時の配信は9日間あったんですけど、出演者とスタッフでみんなでテレビ電話を繋いで、全ステージをリアルタイムで配信したんです。収録じゃなくてリアルタイムということが、こんなに大事なんだということに気付きました。
今までも参加者との繋がりでやってきた団体なので、離れていても繋がれるということを証明することが大切なんだなと感じました。ご覧になっていただく皆様にも、たくさんある映像の1つを再生するということではなく、コミュニケーションとして受け取ってほしいなと思います。
だから、内容もですけど、どうやってこのコミュニケーションの送り合いをしていくのかという絆を築くことに重きを置いています。ただ、配信に関してはもちろん、僕は映像にもこだわりたいので、今回に関しても映画監督さんを呼んで、物語の解釈からやって……といったものを配信させていただく予定です。