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大竹しのぶインタビュー 舞台『フェードル』「役者の肉体と感情だけで引っ張っていくのはとてつもなく面白い」

INTERVIEW

2017年に上演され、絶賛を浴びた『フェードル』。17世紀フランス古典文学の金字塔的作品が約4年ぶりに帰ってきます。1月8日の東京公演を皮切りに、金沢、愛知、兵庫、静岡にて上演を予定。演劇ファンならずとも期待が高まります。

前回と同じく、この歴史的名作の主演を務めるのは女優の「大竹しのぶ(おおたけ・しのぶ)」さん。初演で演出を務めた栗山民也さんとは、2013年の『ピアフ』でもタッグを組み、第44回菊田一夫演劇賞の大賞を受賞。圧巻の演技と世界観で魅了した二人が、再び『フェードル』の幕を開けます。

THEATER GIRL編集部は、大竹さんにインタビューを敢行。再演にあたっての思いや稽古中のエピソード、ギリシャ悲劇を演じる楽しさ、コロナ禍を経て起きた意識の変化など、じっくりと語っていただきました。

やっぱりギリシャ悲劇が演劇の原点なんだなって

――まずは再演が決まった際の率直なお気持ちを聞かせてください。

初演の幕が開いてすぐくらいの時に、栗山(民也)さんが「もうこれは絶対再演するから」とおっしゃって。まだ無事に終われるのかわからないのに、もう再演のことを言うんだと思って(笑)。でも嬉しかったですね、それが本当に実現して。「手応えがある」と感じてくださった栗山さんの気持ちが嬉しかったです。 私はとにかく演じるのが楽しかったから。

――「演じるのが楽しかった」というのは、具体的にどのような部分でしょうか?

『フェードル』はギリシャ悲劇をモチーフにつくられているんですけど、やっぱりギリシャ悲劇が演劇の原点なんだなっていうのはすごく思います。15年以上前に『エレクトラ』って舞台をやったんですけど、その時に「あ、これが演劇なんだ」と思って。

今の舞台って映像や音楽を使ったりするけれども、そうじゃなくて役者の声と肉体でその世界をつくり出す。神と対話したりとかして、なんの装置もなく、ただそこに立って役者の肉体と感情だけで引っ張っていくっていうのはとてつもなく面白いですね。

過去の映像を見返すと「わー、下手だな」と思う

――役者そのもののポテンシャルが問われるからこそ刺激的なんですね。再演にあたって、前回から変化した部分はありますか?

まだ全体については見えてないかもしれないですね。でも相手も変わるので、変わってるとは思います。意識して「ここを変えよう」という具体的なものはないです。

でも、再演の時に気をつけなきゃいけないのは、初演の時に完成された「声」とか「感情」を覚えてるから、そこをなぞらないようにしようというか、「そこに向かわないようにしよう」っていうのはあるかもしれません。

結果的に同じようになるのはいいけども、やっぱりその場で感じたことを素直に出すことが大事だし、新しくつくろうっていう意識はあります 。

――本公演の公式サイトの動画で、「いい戯曲であればあるほど何度でも挑戦したい」とおっしゃっていましたが、再演する際にはどんな発見があるのでしょうか?

どんな舞台も初演では一生懸命やって、「これが一番いいセリフの言い方」「これが一番合ってる」と思って本番に挑むんです。ただ、再演するとなって読み直した時に「あれ、下手だったのかもしれない」と思っちゃう。それはどの芝居でもそうなんですけど、「あの時、もっとこうしておけばよかったんだ」って。

今回の『フェードル』も、「あの時はまだまだわかってなかったんだな」って思うことがあって、3年の間にちょっとは理解力が深まってるんだなって思いますね。映像を見返したりすると、一生懸命さだけが見えて、なんか「熱演してるな」って(笑)。たとえばこの間、『徹子の部屋』で「前の映像を……」って見せてもらった時に「わー、下手だな」とかすごい思うんですよ。もう恥ずかしくなります。

結局それで、次やった時にまた熱演しちゃうんですけど。なんですかね、もう少しこう成長した感じが見せられたらいいなと思いますけどね。

意識が同じ人間が集まると、稽古場の空気が澄み渡る

――大竹さんが口にすると、「成長」という言葉にも凄みを感じますね。2017年の初演から、谷田歩さん、キムラ緑子さん以外のキャストが一新されています。新たな役者さんと共演することは刺激になりますか?

イッポリットが若くなったっていうのは大きいかもしれないですね。そりゃあ向こうを選ぶだろうっていう。ただ、それでも好きでたまらないという状況は、より悲しさが増している感じがしますね。若い二人がいて、ヴィーナスに矢を放たれて好きになっちゃうなんてね。

「おばさんやめときなさい」みたいな(笑)。「狂っちゃった。あ~あ」なんていう感じもあります。そう思いながらは演じてないですけど、でも冷静に考えて「そうだろうな」とは思います。

――かなり冷静な視点ですね(笑)。公式サイトで、キムラ緑子さんは「大竹さんがいると安心する」とコメントされています。大竹さんから見てキムラさんはどんな役者さんですか?

緑子ちゃんとはもう長い付き合いで。プライベートで会うようなお友達でもあるし、なんでも言い合える仲だから稽古の時間も楽しいですね。私もそうですけど、緑子ちゃんもお芝居が好きでマジメ。いいものをつくっていこうっていうのは常に二人の中にありますから、正直に言い合える関係って感じですかね。私の芝居を見て、緑子ちゃんがいろいろ言ってくれることもあるし、私が言うこともあるし。

意識が同じ人間が集まると、稽古場の空気が澄み渡るっていうか、美しいものになるなって思います。そこにちょっとでも違う人が入ると、「あ、違う」ってわかるんですけど。ベテランとか若手とか関係なく、「芝居が好き」「いいものがつくりたい」って思いが一致すれば空気はキレイですよね。

――大竹さんにとって役者というのは、作品に溶け込むようなイメージなのでしょうか?

「みんなとつくってる」って意識が強いかな。今はこういう状況なので、一緒にご飯を食べたりとか、稽古終わりに残って話したりとかしちゃいけないのがすごい残念なんですけどね。

愛も憎しみも絶望も普通じゃない。ヤバい人たちが集まってる

――すでに稽古の真っ最中だと思いますが、雰囲気やみなさんのチームワークはいかがですか?

栗山さんのお稽古の進め方がすごく早いんですよ、ダーッて行っちゃう感じで。だから、(瀬戸)さおりちゃんとか(林)遣都くんとか、最初は大変だろうなって思いながら見てました。とくに今回みたいなセリフ劇でスピード感のある稽古だと「あーどうしよう……」ってなってるのがすごく伝わってくる。それを察した緑子ちゃんが「私たちもそうだったから」って励ましつつ(笑)、みんなで本番に向けて準備しているところです。

ただ、二人ともすごく楽しいって言うんですよ。遣都くんなんか「できない所があるから楽しい、演ってることが楽しい、見てるのが楽しい、注意されるのも楽しい」みたいな。「オレ、これ合ってると思う」「オレ、これいい。好き」とか言ってて(笑)。それって「演劇の原点」みたいなものを好きってことだから、本当にお芝居が好きなんだなと思ってなんか嬉しかったです。なんかキラキラしてますよね。

休憩中はずーっと台本を読んでいて、「こういうのってどうしたらいいんですか?」って私にイッポリットの演じ方について相談してきたこともあります。「解放してさしあげます」ってセリフを言う時に、言葉を立てようとするんじゃなくて「解放」という言葉にイメージを持って口にすると、自然に「解放」って言葉が見えてくるんだよと教えてあげたら、遣都くんが「おー!」とか言ってね(笑)。

――まさに稽古中ならではのお話ですね(笑)。「言葉を立てるのではなく、イメージを持つ」というお話が出ましたが、演劇におけるセリフとはどんな意味を持っていると思いますか?

作品によって違うとは思うんですけども、『フェードル』は言葉に強い力を持っている戯曲です。栗山さんがおっしゃっていたのは、「暗闇の中で声だけでもイメージができるように言葉を言わなくちゃいけない」ってこと。「セリフだけでもイメージがわかるような言い方をしなさい」みたいなことを遣都くんやさおりちゃんに言ってましたね。

あとはエネルギーですかね。エネルギーがないと、たとえばフェードルが口にする「好きなの!」ってセリフが生きない。「(小さな声で)好きなの」じゃつまらないわけで、これの100万倍の「好きなの!!」じゃないと面白くないっていう。

愛も憎しみも絶望も普通じゃない。ヤバい人たちが集まってる(笑)。だって、最終的には「殺してやる」になっちゃうわけですから。「思っただけで死にそうー!」みたいな。でも、そういう感情って実は大事なことで。憎むってことじゃなく、感情を素直に出すということがね。それってすごく楽しいことなんだなと思います。

『フェードル』と言えば「好きなのだ!」を浸透させたい

――日常を考えても、感情を表に出せないというのは辛いですからね。

以前、ギリシャ悲劇の『エレクトラ』っていうのをやって、その翌年に『喪服の似合うエレクトラ』という『エレクトラ』をモチーフとしたユージン・オニールの近代劇をやったんです。

同じ近親相姦の役で、ストーリーはまったく同じなんですけど、『エレクトラ』には神との対話がある分、演っていて楽しいんですよ。「神よ、あの人を愛してる!」とかって解放する面白さがあるから。でも、『喪服の~』は内に入っちゃう。悲しみも絶望も全部1人で抱えなきゃならなくてすごい苦しかった。

神様を信じていたり、神様に操られていたりしたほうが楽だなって思いましたね。「こう言ったじゃないの!」って神様に文句も言えるし(笑)。これは私の変わったとらえ方かもしれないですけど。

――フェードルがイッポリットに「好きなの!」と声を上げるのは、まさに感情が噴出する象徴的なシーンですが、なにか特別な感情をつくり上げて演じられているのでしょうか?

もちろん、もちろん。それは操られているっていうのもあるし。フェードルが「どうしてあなた、この時いなかったの。そしたら、あたしがこうしてあげたのに」っていう乙女な部分を出したところで、イッポリットから「いや、とんでもない」みたいな反応をされると「なんでわかんないの!」って発狂しちゃうみたいな。「好きなのに!」「好きなの!!」っていう、どストレートな青春ですよね(笑)。

演者からすると、それが面白いんです。そういう戯曲ってあまりないと思うので。「あいまい」とか「こんな感じ」とかっていうのがなくて、わかりやすい。だからこそ面白いなって。

――「わかりやすい。だからこそ面白い」というのはすごく深い言葉ですね。

たとえばイッポリットがお父さんに「僕はこういう人間で、純粋にこうやって生きてきたんです」って話すと、「それがお前の欠点だ」って指摘されるところとか。「僕はこんなにいい子なんです」って熱演してやってると余計におかしいし、人間の「傲慢さ」「おろかさ」「美しさ」とか、いろんな角度から人間が見えてくる。話は単純だけど、厚みがあるなと思います。

『フェードル』って、『ロミオとジュリエット』とか『ハムレット』みたいに、誰もがなんとなく知ってる話とは違いますよね。でも、今回の再演を通して『フェードル』と言えば「好きなのだ!」みたいな感じが浸透してくれたらいいなって(笑)。「あの熱情的な女の話だ」ってすぐに浮かぶようになればいいなと思いますね。

コロナ禍だからこそ「生半可なものは届けられない」

――反対に、現代劇と比べて古典ならではの難しさはどこにあると思われますか?

とにかく物語がスピーディーなんですよ。旦那さんが死んだ、ラッキー! 「私、あの人が好きって言ってきて。権力もあの人にあげるわ!」って言った途端に生きて帰りましたっていう(笑)。それで、「じゃあ死にます」みたいな。

「大丈夫よ、こういうふうにすればいいの」「わかった、じゃあそうする!」と言って、それがバレたら「あんたのせいよ!」ってなるとか。その早い展開に全部乗るというか、乗り遅れないようにするのが大変ですね。常にいつでもダッシュできる状態というか。感情をつくってとかじゃなくて、ある言葉を言われたらハッとしてすぐにパーンッと感情を爆発させる感じですかね。

シェイクスピアもそうなんですけど、物事が裏で起こっていて、使いの者から「こうでしたよ」なんて知らせを受けるとワーッ!と取り乱すっていう。イッポリットが死んじゃうところも全部裏で言ってワーッってなるし、そういう構造だったのかな、昔の戯曲は。『マクベス』もそうですよね、「奥様はこうなってこんなふうに死を遂げた」みたいに説明するシーンがありますし。すべての古典がそうだったかはわからないですけど。

――たしかに古典は外的要因による葛藤が多いかもしれませんね。今年はケラリーノ・サンドロヴィッチさん演出の『桜の園』が中止になるなど、新型コロナウイルスに翻弄された一年でした。コロナ禍を経て、ご自身の意識に変化はありましたか?

秋は客席を半分にして『女の一生』を上演したんですけど、カーテンコールで客席が明るくなった時の光景を見て「こんなにお客様が少なかったんだ……」と思って。すごくビックリしたのと同時に、それなのにこんなに温かい拍手をくれているとか、この状況なのに観にきてくれているってことのありがたみを感じました。

本当に一人でも二人でも、お客様がいる限りやることってこういうことなんだって思ったし、とくに『女の一生』は戦時中に初演があった作品。それでもこの芝居を続けたいと思ったんだなって、そんなことを考えましたね。

でも、「絶対に必要なものか」っていったら、演劇って絶対的なものではないじゃないですか。だって、「今はなくてもいいんじゃない?」って言われたら「そうですね」ってなりますし。ただ、それを生業としている演劇の人たちは、「それでもやる」って決めて生きていかなくちゃいけない。

そしてまた、そんな状況でも観にきてくださるお客様がいる。そういう、ちょっといつもとは違う関係性があるので、生半可なものは届けられないなっていうのはありますね。こちらは一生懸命やって、お客様には「ああ、やっぱり劇場に観にきてよかった」と感じてもらわないと申し訳ないなって思います。

「よし、頑張ろう!」と元気が出るお芝居を届けたい

――最後に、改めて今作に対する意気込みをお願いします。

今って本当に怖い状況だから、「絶対にきてね」とか言えないところが悲しいです ……。もうそれはお客様に委ねるしかないですし。演劇の人たちと同じように「絶対に必要」とされない業種の方たちも大変だと思います。でも生きていかなくちゃいけない。そういうのも含めて本当に心苦しいです。

でも「3月からずっとリモートで仕事してるから、たまに劇場に行くだけですごく刺激をもらえて元気になれる」っていうような声もあったりするんですよ。「ああそういう励まし方もあるんだ」と思ったんですけど。だから、そういう人のためにも頑張ろうと思っています。

とにかく感染対策を万全にして、本番を迎えたいですね。観てくださったら、きっと「よし、頑張ろう!」って元気が出るようなお芝居だと思います。日常も忘れることができるし、エネルギーを渡せると思うので、ぜひ体調に気をつけながらきてください。

取材・文:鈴木旭

公演概要

『フェードル』

作:ジャン・ラシーヌ 演出:栗山民也

[出演]
大竹しのぶ、林遣都、瀬戸さおり、谷田歩、酒向芳、西岡未央、岡崎さつき、キムラ緑子

【東京公演】
日程:2021年1月8日(金)~2021年1月26日(火)
会場:Bunkamuraシアターコクーン

【金沢公演】
日程:2021年1月30日(土)~2021年1月31日(日)
会場:金沢市文化ホール

【愛知公演】
日程:2021年2月6日(土)~2021年2月7日(日)
会場:刈谷市総合文化センター 大ホール

【兵庫公演】
日程:2021年2月11日(木・祝)~2021年2月14日(日)
会場:兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール

【静岡公演】
日程:2021年2月20日(土)~2021年2月21日(日)
会場:三島市民文化会館・大ホール

公式サイト
https://www.phedre.jp/

あらすじ

舞台は、ギリシャ・ペロポンネソス半島の町トレゼーヌ。行方不明となったアテネ王テゼ(谷田歩)を探すため息子イッポリット(林遣都)は国を出ようとしていた。

一方、テゼの妻フェードル(大竹しのぶ)は病に陥っていた。心配した乳母のエノーヌ(キムラ緑子)が原因をききだすと、夫の面影を残しつつ、夫には失われた若さと高潔さに輝くイッポリットへの想いに身を焦がしていると白状する。

苦しみの末、フェードルは義理の息子に自分の恋心を打ち明ける。しかし、イッポリットの心にあるのはテゼに反逆したアテネ王族の娘アリシー(瀬戸さおり)。イッポリットはフェードルの気持ちを拒絶する。そんな中、テゼが突然帰還して・・・

THEATER GIRL編集部

観劇女子のためのスタイルマガジン「THEATER GIRL(シアターガール)」編集部。観劇好きの女子向けコンテンツや情報をお届けします。

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