福士誠治インタビュー 舞台『セールスマンの死』 「誰が見ても共感できる家族のお話」(前編)
INTERVIEW
――福士さん自身は脚本を読んで、ウィリーの生き方についてどう感じられましたか。
ウィリーは、心のどこかで自分をスーパーマンのような存在だと思っているはずです。人間誰しもが思う「僕は特別な存在なんだ」というような。成功体験をしたから上というわけでもないのですが、この時代の上流から中流家庭の器ではない人間が上の存在を目指しているという部分も見られる気がしますし、自分の生き方に蓋を閉じているようにも見えます。
自由奔放に開拓できる兄がいて、自分もそうなれると思っているのに実際に踏み出せない自分もいる。「本当はできるけどやらないんだよ」というような蓋の閉じ方もあると思うんです。見栄を張ったりと、そこがすごく切ないですよね。
自分も分かっていながら、子どもがいるが故にスーパーマンだったり、尊敬する父親像を追わなければいけないという気持ち。蓋を閉じていて誰にも開けさせないように生きているようにも見られる。もっと若い頃から息子達に弱い部分を見せていれば、こうはならなかったのかなと思ってしまいます。たらればですけど(笑)。
変に偽善的ではないところが刺さるはず
――本作の魅力はどういった部分になるでしょうか。
お客さんが登場人物の誰かに投影できるという部分だと思います。ウィリーくらいの年齢の男性が観ても、若い女性が観ても、親がいて子どもがいて近所付き合いがあって、という縮図としても彼らの気持ちが全く分からないという方はいないと思います。
若い人が観ても偉大なる父親や親からの期待、親みたいにはなりたくない気持ち、「自分はこうしたいんだけど上手くいかない」とか。すごく共感する部分が多いところが魅力だと思いますね。これを観て、どう感じるのかはお客様次第ですが、変に偽善的ではないところが刺さると思います。