市村正親インタビュー ミュージカル『生きる』 「公演1回1回の渡辺勘治を丁寧に、深いものにしたい」
――本作の主役である市民課長・渡辺勘治は、パワフルな市村さんとは真逆のキャラクターという印象を受けます。演じるうえで意識されていることはありますか?
初演の一幕では、とにかく目立たないようにしました。最初から「どこにいるんだろう?」っていうくらいに存在を消してね。俳優っていうのは“役を演じる”わけだから、なにかをしなくちゃいけないんだけど、なんにもしない。そこが難しかったですね。
あと、意外と難しかったのが、段取りとして靴をスッと脱いでスッと履かなくちゃいけない芝居があるんですよ。それをスムーズにやるためには、靴をちょっと緩くしておく必要がある。すると、今度は通常時が歩きづらいんです(笑)。でも、その歩きづらいのが 、なんにもしていないように見えるというね。
――歩き方でも「存在を消す」というのはすごいですね! 市村さんにとって渡辺勘治は演じやすい人物ですか?
僕はやりやすい、やりにくいっていうのはないですね。単純にいい役ですよ。やりがいもあるし、消しがいもあるしね。
ただ、普段の僕はすごく元気だから、公演の前に体を疲れさせておくというのは意識しました。前からヨガやジムには通っているんですけど、いつも以上に負荷をかける。最後の残ったエネルギーで一幕のラストの歌を歌うんです。そうすると、“疲れた感じ”が出るんですよ。
怖いのが、夜の街に出掛けるシーンで周りがダンスをしていると、つい踊りたくなっちゃう(笑)。だから、ちょっとミュージカル風に「あ、市村さんちょっと踊ってる」ってところをね、わかる人にはわかるようにやっています。
一幕の歌は「モノローグに歌がついているようなもの」
――市村さんの新刊『役者ほど素敵な商売はない』の中に、「芝居は台本から、ミュージカルは音から入る」と書かれていました。今作の『生きる』についても、「ゴンドラの唄」や挿入歌を聴いて気持ちをつくっていらっしゃるのでしょうか?
『生きる』については、「ゴンドラの唄」を聴いて気持ちをどうこうということはないですね。勘治が胃がんだと宣告されて、死んだ妻のお仏壇のそばで写真を見ながら歌う曲。僕は全部歌うわけではないし、そこは映画とはちょっと違うんですね。
『生きる』は、はつらつとした女性事務員「小田切とよ」との出会いが大きいんですよ。「なぜキミはそんなに輝いているんだ」「どうすれば自分もそうなれるのか」と心が動くところ。あのへんから、勘治は自分自身を見つめ直して、二幕へと入っていくんです。
だから、そのほかのミュージカルと『生きる』はぜんぜん入り方が違いますね。歌であって歌ではない。その時の心情を歌うわけで、『ハムレット』の「死ぬべきか生きるべきか、それが問題だ」というモノローグに歌がついているようなものだから。
――同じミュージカルでもまったく違うと。
「ゴンドラの唄」もフルコーラスで歌わないで、半分ぐらいで嗚咽するみたいなね。歌うってことはしたくなかったの。一幕のラストで、はじめてモノローグのように歌う。二幕では「自分で公園をつくろう」という目的ができて、市民のみなさんに「一緒に行きましょう」って気持ちで歌うことができたんだけども。僕は気持ちが入らないと歌えないんですよ。